「完璧なライドなどといったものは存在しない。完璧なエアロバイクが存在しないようにね」
ぼくが新米ローディのころ偶然に知り合ったTTチャンピオンはぼくに向かってそう言った。ぼくがその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧なライドなんて存在しない、と。
しかし、それでもやはりどこかに出かけるという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。ぼくに踏破できる領域はあまりにも限られたものだったからだ。たとえば、ヤビツのタイムをいくら縮めたからといって、丹沢グランフォンドを踏破できるとは限らない。そういうことだ。
1年間、ぼくはそうしたジレンマを抱き続けた。――1年間。長い歳月だ。
もちろん、あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、、STRAVAにアクティビティをアップロードすることはそれほどの苦痛ではない。これは一般論だ。
積算距離が3000kmを少し過ぎたばかりの頃からずっと、ぼくはそういった走り方を取ろうと努めてきた。おかげで峠から難度なく手痛い打撃を受け、見知らぬローディから山頂までの距離を欺かれ、また同時に多くの不思議な体験もした。様々なスプリント区間がやってきてぼくに語りかけ、まるで石畳を登るように音を立て、ぼくの横を通り過ぎ、そして二度と戻ってはこなかった。ぼくはその間じっと口を閉ざし、何も語らなかった。そんな風にしてぼくはロードバイク2年生の春を迎えた。
今、ぼくは自転車に乗ろうと思う。
もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、帰りの輪行でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、自転車に乗ることは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。
しかし、正直にペダルをまわすことはひどく難しい。ぼくが正直になろうとすればするほど、クランクは闇の奥深くへと沈み込んでいく。
弁解するつもりはない。少なくともここに引かれているルートラボは現在のぼくにおけるベストだ。つけ加えることは何もない。それでもぼくはこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見するこができるかもしれない、と。そしてその時、ヤビツはかつての斜度を取り戻し、ぼくはより美しいペダリングで、菜の花台展望台を踏み抜くだろう。